【写真】1996年、エリック・スポールストラ26歳、ヒートのビデオコーディネーター時代
どんな成功者にも、下積み時代が必ずある。それはマイアミ・ヒートをNBA2連覇に導いた若き名監督でも同じこと。以下は、エリック・スポールストラ監督がヒートのビデオコーディネーターを務めていた頃、約17年前の写真だ。
当時はまだ26歳。若い!
NBAのヘッドコーチは、過半数以上が元NBAプレーヤーだ。そんな中、現役選手としての実績がなく、ビデオコーディネーターという裏方の仕事から、わずか10年余りでヘッドコーチにまで出世したエリック・スポールストラは、かなりの異色だと言える。
エリック・スポールストラがHCになるまで
高校時代は実力派ポイントガードだったスポールストラ。3年生のときには、同年代のアロンゾ・モーニングやショーン・ケンプなど、未来のNBAスターらと共に、Nike主催の「All-Star」バスケットボールキャンプに参加するほどだった。
大学は地元のポートランド大に進学。1部リーグのチームで、1年の頃からスタメンのポイントガードをつとめた。1989年には、西海岸カンファレンス(WCC)の「フレッシュマン・オブ・ザ・イヤー」(新人王)に選ばれている。
学生時代を通して1流の選手だったスポールストラだが、NBAに入れるような実力はなく、大学卒業後はドイツのプロチームに選手兼アシスタント・コーチとして入団。同クラブのユースチームでコーチを務め、そこで初めて監督職を経験した。
1995年、スポールストラはマイアミ・ヒートからビデオコーディネーター職のオファーを受けアメリカに帰国。4年間コーディネーターを務め上げた後、1999年からスカウトを任されるようになる。その2年後にはスカウト部長兼アシスタントコーチに出世し、パット・ライリーが引退した2008年、ついにヘッドコーチへと昇格した。
その後の展開はご存じのとおり。ヘッドコーチ就任からわずか5年の間で、チームを2度の優勝、3度のファイナル進出へと導き、新人コーチとしては異例の大成功を収めたわけだ。
叩き上げは強い。17年間、下っ端時代からヒート一筋でやってきたスポールストラは、選手やスタッフからの信頼も厚いはず。
どうしてもレブロン・ジェームズやドウェイン・ウェイド、昨季ファイナルではレイ・アレンといったスター選手ばかりに注目が集まりがちだが、スーパースター軍団をまとめ上げ、NBA制覇へと導いたスポールストラの功績が、もう少し評価されてもいいと思う。NBAで2連覇を果たした数少ないHCの一人なのだから…。
参考記事:「en.wikipedia.org」