スパーズの未来、カワイ・レナードがファイナルMVP受賞
現地15日、サンアントニオ・スパーズが通算5度目、7年ぶりのリーグ優勝を果たし、ファイナルMVPにフォワードのカワイ・レナードが選ばれた。
普段は滅多に感情を表に出さないレナードだが、さすがにこの日だけは違う。ファイナルMVP授与の舞台で仲間たちから手厚い祝福を受け、全身で喜びを表現した。
「みんなが僕をプッシュしてくれた。コーチポップ、そしてファンたちがプッシュしてくれた。神、そして両親に感謝したい」
– カワイ・レナード
司会者から「もう笑っていいんだよ」と訊ねられたレナードは、「本当に夢のようだ」と応えながら満面の笑みを浮かべた。
22歳、デビュー3年目でファイナルMVP
ティム・ダンカン、トニー・パーカーに続き、歴代スパーズで3人目のファイナルMVP受賞者となったレナード。昨年のファイナルでは第6戦の正念場で大事なフリースローを外し苦汁を味わったが、その悔しさをバネに今年はMVPの名に相応しい大活躍をみせた。
レナードはヒートとのファイナル5試合で17.8得点(FG成功率61.2%)、6.4リバウンドを平均。最初の2試合はそれほど目立たなかったが、第3戦から大躍進を遂げ、3試合連続でチームハイの得点を記録している。
第5戦ではスタートダッシュにつまずいたスパーズオフェンスの原動力となり、22得点、10リバウンドを獲得してチームを牽引した。
▼レナード、第5戦ハイライト
この日はレナードがフリースローラインに立つと、客席からはMVPコールが鳴り響いた。
▼レナード vs. レブロン(ファイナル第3戦~第5戦)
得点 | FG% | リバウンド | アシスト | TO | |
レナード | 71 | 68.4% | 28 | 7 | 5 |
レブロン | 81 | 56.9% | 23 | 14 | 11 |
第3戦~5戦でのレナードのパフォーマンスは、レブロン・ジェイムスと比較しても全く遜色ない。第5戦後、ヒートのドウェイン・ウェイドはレナードに対して「スパーズの未来だ」と賞賛を送った。
スパーズが初めて優勝したのは15年前の1999年で、レナードは当時7歳。その年はダンカンがファイナルMVPを受賞している。
父の日に優勝、ファイナルMVP…
常に冷静沈着、ダンクを決めても顔色一つ変えないレナードだが、その無表情の奥には人一倍の悲しみを抱えている。
2008年、レナードが16歳のとき、ロサンゼルスで洗車場を経営していた父親のマーク・レナードが何者かによって殺害された。強盗目的の殺人とみられているが、6年後の現在でもこの事件は未解決で、犯人はまだ捕まっていない。
あまりにも突然で理不尽な父親との別れは、当時高校生だったレナードにとって計り知れないほどのショックだったはずだ。しかし事件の翌日、レナードは悲しみを押して試合に出場した。
「バスケットボールは僕の人生そのものだ。プレーして気を紛らわせたかった」、レナードはその日の試合についてそう語る。ゲーム終了のブザーが鳴ると、母親のもとに駆け寄り泣き崩れた。
「本当に悲しかった。父さんは試合に来てくれるはずだったから」
しかしその日以来、レナードは悲劇を頭の隅に追いやり、常に前だけを向いて走り続けてきた。高校時代は夜の11時まで体育館に残ってシュートの特訓。大学時代には毎朝5時に家を出て授業が始まるまで練習に励み、ベテランのスポーツエージェントに「これほどひたむきな男を見たことがない」とまで言わしめた。
「懸命に努力することを教えてくれたのは父だった」とレナードは語る。父親のマークは仕事に対して非常に厳しい人だったらしく、息子に洗車をさせる時など、ボディの上に食べ物を乗せられるほど綺麗になるまで磨かせたという。
そうして身につけた努力の精神はやがて実を結び、スパーズは2011年のドラフトでジョージ・ヒルをトレード放出して、レナードの獲得に乗り出した。
そして父親の死から6年後の6月15日、スパーズがファイナル第5戦に勝利し、7年ぶりのリーグ制覇を達成。レナードは世界最高峰の舞台で世界一のプレーヤーと互角に渡り合い、ファイナルMVPを獲得した。この日はちょうど「父の日」だ。
残念ながら、父親にその勇姿を見せることはできなかった。その代わり、世界中のバスケットボールファンがレナードの活躍を目撃し、レナードに拍手を送った。
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参考記事:「ESPN」、「DailyBeast」