ブルズ王朝のシックスマン、トニー・クーコッチが海外掲示板「Reddit」に降臨
5月10日、米掲示板「Reddit」のNBA板では元シカゴ・ブルズのトニー・クーコッチがAMA(何でも聞いてくれ)スレッドに降臨し、ファンたちからの様々な質問に答えていた。
クーコッチは、1990年代の王朝期ブルズでシックスマンとして活躍したクロアチア出身のフォワード。ブルズのリーグ3連覇に大貢献し、1996年にはシックスマン賞を受賞している。ジャンプショットからプレイメイクまで何でもハイレベルにこなしたオールラウンダーで、1990年のドラフト前にはパット・ライリーが、「世界で最も万能な選手の一人。若い頃のマジック・ジョンソンを彷彿させる」と大絶賛したほどだ。
以下、スレッドでのやり取りをざっとまとめてみた:
Q:以前スティーブ・カーがあなたの試合前の食事について話していました。パスタ大盛りとチキン、ティラミス、赤ワイン、エスプレッソをすべて平らげ、トイレに駆け込んでから試合に出ると。この話は本当ですか?
A:「それは、私がブルズに入団してから初めて遠征した時の話だね。プレシーズン開幕日の試合前に、スティーブ(カー)にランチに誘われた時だ。確か時間は午後1時半か2時で、その日の試合は19時スタートだった。私は先にレストランに着いたので、メニューを眺めていたんだ。そのレストランでは、ほとんどの品が4~5ドル。『ここでしっかり食べないと後でお腹が空くだろうな…』。その時の私は、アメリカでの“一皿の量”を知らなかったんだ。ヨーロッパと同じで少量だとばかり思い込んでいた」
「とりあえずスープとサラダ、そしてチキンパスタを頼んだ。スープは3~4口、サラダはサイドメニューくらいだと思っていたからね。するとどうだ。スティーブがレストランに到着した時には、大量のチキンがのった家族サイズのパスタに、4人前はありそうなスープとサラダ。それらがテーブルを埋め尽くしていた。スティーブはその様子を見てこう言ったんだ、『お前は頭がおかしいのか?それをぜんぶ食べるつもりか?』。そこで私は言い返した、『全部食べるよ。赤ワインをお供にね。食後にエスプレッソを飲んで、トイレに行く。それから試合に出るよ』とね。その頃の私がアメリカでの“一皿の量”を知らなかったという話。そこで学んだよ。今ではいい笑い話だ」
Q:最も手強かった対戦相手は誰ですか?
A:「ニューヨーク(ニックス)にインディアナ(ペイサーズ)、マイアミ(ヒート)。それからファイナルで戦ったシアトル(スーパーソニック)とユタ(ジャズ)が強敵だった。私個人では、ニューヨークのチャールズ・オークリーとアンソニー・メイソン、そしてインディアナのデイビス2人(デイルとアントニオ)。彼らは私よりもサイズとパワーのある選手だったので苦戦したよ。私は自分の長所を活かしながら彼らに対抗した」
Q:ブルズにフィットするために、自分のプレイスタイルを変えなければならなかったところはありますか?
A:「私がシカゴに到着したまさにその日に、マイケル(ジョーダン)が1回目の引退を表明した。彼がそのタイミングでチームから抜けたことで、私が最初から普段通りにプレイできた部分もあったと思う。1年目から出場時間をもらい、試合のラストショットを打つ経験も積ませてもらった。最初からフィル(ジャクソンHC)は、私がラストショットを決められる人材だと見てくれていたようで、実際にルーキーシーズンからその機会を与えてくれた」
▼新人クーコッチのブザービーター、1994年
Q:あなたは外からフロアを広げられる選手でした。もし今のNBAにいたなら、どんな風にプレイしていたと思いますか。今のリーグはスペーシングを重視し、シューティングが高く評価されています
A:「私は昔からずっとそのスタイルでプレイしていた。旧ユーゴスラビアの代表チームには、素晴らしいシューターがたくさんいたよ。1988-89ジュニア世界選手権での代表チームを見てもらえばわかるが、まさにそのプレイスタイルだった。1on1やドリブルをできる限り減らしながら、パス回しやオフボール・ムーブメント、外のシュートを軸に攻める」
「だから今のNBAは、私にぴったりだと思うよ。私は複数のポジションをプレイできるし、外からのシュートも打てる。昔なら、4番と5番のビッグマンはペイントエリアに走っていた。だが今は、ドライブ&キックからオープンショットを生み出すのが主流なので、ペイントエリアががら空きになっている」
Q:あなたが最初にNBAにやって来た時に、メンターとして面倒を見てくれた人は誰でしたか?
A:「ブルズに入団して1~2年目の頃に一番お世話になった人はスコッティだね。ジョン・パクソンとビル・カートライトも、チームのリーダーとしていろいろと面倒を見てくれた。スコッティには試合中に何度も失敗をカバーしてもらったよ」
「それから私にはシカゴに親しい友人がいた。彼の名はイビツァ・ダンカン。ブルズのスカウトで、私が入団する1~2年前にチームに入っていた。彼はクロアチアでのチームメイトでもあり、私にとって兄のような存在。特にNBAに来たばかりの頃は、彼が心の支えだったよ」
Q:当時のブルズでは「試合以上に熱の入った練習をしていた」、多くの選手たちがそう語っています。それはどういった部分でしたか?
A:「私たちは常に目的意識を持って練習に取り組んでいた。練習時間はシーズンの始め頃が一番長く、シーズンが進むにつれて短くなっていったが、練習内容はずっとハードだった。レギュラーシーズンの試合と同じくらいの真剣さが求められた。もちろん手本となったのはマイケルとスコッティだ。彼らがいたから、みんなは実戦と同じような集中力と熱量をもって練習に臨んでいた」
Q:フィル・ジャクソン指導の下でトライアングルオフェンスを学んだ感想は?
A:「フィルとテックス・ウィンター(当時のブルズ・アシスタントコーチでトライアングルオフェンスの考案者)がとても分かりやすく教えてくれた。特に新人や2年目の若手選手たちは必死で練習していたよ。入団して2カ月ほど経つと、フィルはトライアングルオフェンスに関する全10問のテストを出してくる。10問すべてに正解すれば、試合に出場する機会が与えられる。反対にテストをクリアできなければ、ずっとベンチウォーマーだ。オフェンスをちゃんと学ばない限り、ほとんどプレイタイムを手にできない。ブルズのトライアングルオフェンスは、私がプレイしてきた中で最高のオフェンスシステムだったと思う」
Q:現役時代のあなたは素晴らしいプレイメイカーでした。そんなあなたに聞きたいのですが、今のNBAでお気に入りの選手は誰ですか?
A:「もはやバスケットボールでは、ボール運びをする選手、つまりプレイメイカーを必要としなくなった。今の時代は、マルチなスキルを持った選手が多い。自らボールを運んでオフェンスを展開できる選手がたくさんいるので、わざわざプレイメイカーにボールを渡すのは時間の無駄だ」
「レブロンはポイントガードだと勘違いされることが多いが、それはむしろ素晴らしいことだね。私の意見としては、ケビン・デュラントが現NBAのベストプレイヤーだと思う。彼はボール運びも問題なくこなせる。それこそがトライアングルオフェンスの本質だ。フロアにいる全員がオフェンスを指揮する能力があり、さらにポスト役も担当できて、(フロア・スペーサーとして)コーナーに入ることもできる。ポイントガードをラインアップに入れることは必須ではない。複数のポジションをプレイできるスキルの高い選手がチームに3~4人いれば問題ない」
▼超万能タイプだったクーコッチ
Q:NBAに移籍した際に、ヨーロッパでプレイするよりも容易だと感じたところはありましたか?
A:「ヨーロッパのコーチたちは、とにかくバスケットボールの基礎的な部分を重要視していた。身長180cmでも220cmでも関係なく、コーチたちはドリブルやパス、シュートを第一に学ばせようとした。だからヨーロッパでの練習は2対2や3対3、4対4形式が多く、5on5はほとんどやらなかった。そうすることで基礎を伸ばそうとしたんだ」
Q:アメリカに勧めたいクロアチア料理を一つ選ぶとしたら?
A:「クロアチア南部の料理と言えば、焼き魚とホワイトソースのパスタ。南部ならラムチョップなどの肉料理。一つを選ぶのは難しいね。でもクロアチア料理はすごく美味しいので、ぜひみんなに試してもらいたい」
Q: あまり世間に知られていない「クーコッチの豆知識」はありますか?
A:私は10歳の時に卓球の大会で優勝したことがある。それから現役引退後は、クロアチアのオープンゴルフトーナメントで優勝した。子供の頃はまず卓球にはまり、次にサッカーをやった。バスケットボールは3番目のスポーツだったよ
Via Reddit