元ユタ・ジャズの名将ジェリー・スローンが逝去
現地5月22日、1980年代から20年以上にわたりユタ・ジャズのヘッドコーチを務めたジェリー・スローンが亡くなった。
ジャズの発表によると、スローンはパーキンソン病とレビー小体型認知症の合併症により逝去。享年78歳だった。
1978年にシカゴ・ブルズのアシスタントとしてコーチングキャリアを開始したスローンは、その後ブルズのHC、ジャズのアシスタントHCを歴任し、1988年にジャズのヘッドコーチに就任。2011年2月に退任するまでの23シーズンにわたってチームを指揮した。
スローンは、サンアントニオ・スパーズのグレッグ・ポポビッチHCが「メンター」と呼ぶほどのNBA史を代表する名将の一人だ。リーグ制覇こそ達成できなかったものの、1990年代後半にジャズを2年連続でのファイナル進出へと導くなど数々の功績を残し、2009年にバスケットボール殿堂入りしている。
- 通算2024試合を指揮(歴代4位)
- 通算成績1221勝803敗(勝利数で歴代4位)
- 16シーズン連続で勝ち越し(1988-89から2003-04)
- プレイオフ勝利数で歴代6位(98勝)
スローンHCは、カール・マローンにジョン・ストックトン、そしてピック&ロールに並んで、ジャズの歴史を語る上で欠かせない存在。これほどの名将が1度もコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞していないというのは、ティム・ダンカンが19年のキャリアで1度もDPOYに選ばれなかったのと同じくらい謎だ。
またスローンは、1960~70年代のNBAで選手としても有名だった。
1965年ドラフトで全体4位指名を受けてボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)で1シーズンをプレイした後、1966年のエクスパンション・ドラフトで当時新設されたばかりだったシカゴ・ブルズへと移籍。守備力の高さを武器にブルズのオリジナルメンバーの一人として大活躍し、2度のオールスター、6度のオール・ディフェンシブ・チーム選出を果たしている。
スローンは、ブルズ球団史上で最初に永久欠番(背番号4)となった選手だ。
「プレイスタイルからコーチングスタイルまで、私はジェリー・スローンのすべてが大好きだった。彼は強固な競争者であり、70年代のブルズを象徴する選手だった。ジェリーが1996年のドリームチーム(アメリカ代表チーム)のコーチングスタッフを務めた際、彼は私のお気に入りのコーチとなった。あなたから学べて光栄でした」
– スコッティ・ピッペン
参考記事:「NBA」