ポール・ピアース 当時のセルティックスとレイ・アレンの関係を語る
ワシントン・ウィザーズのポール・ピアースは、長年を過ごした古巣ボストン・セルティックスの元チームメイトたちと、今でもグループ・テキストメッセージなどで頻繁に連絡を取り合っているという。ケビン・ガーネット、ケンドリック・パーキンス、グレン・デイビス…。ドック・リバースHCもいる。今ではみんなバラバラになってしまったが、2008年に力を合わせてチャンピョンシップを共に勝ち取った戦友たちだ。
しかしそのサークルの中に、レイ・アレンは含まれていない。それどころか、ピアースはアレンがマイアミ・ヒートへと移籍して以来、1度も言葉を交わしていないという。
ビッグスリーとして大きな成功を収めたアレン/ガーネット/ピアースのトリオだが、スポットライトの裏側ではどんな関係だったのだろう?ピアースはESPNのインタビューで、当時のセルティックスやアレンとの関係についてのエピソードを赤裸々に語った。
レイ・アレンについて:
「奇妙な関係だったよ。みんなコート上では仲が良かったが、レイはいつもマイペースだった。そういう人間なんだな。例えば、チームで食事に出かけるときも、レイは来ない。俺たちがレイ主催のチャリティーイベントに足を運んだとしても、奴は他の誰かのイベントには顔を出さないんだ」
「1度そのことでレイに追求したことがある。『なあ、レイ。俺たちはお前のイベントをサポートしている。だけどお前は俺たちのには来ないよな』ってね。確かあれは、ロンドがセルティックスと再契約した時だ。俺たちはレストランで記念の食事会をしたんだが、その時もレイは顔を出さなかった」
「恐らくレイはロンドのことがあまり好きじゃなかったのだろう。だけど個人の好き嫌いなんか関係ない。チームメイトの全員を好きになる必要なんてないんだ。ただ、サポートの姿勢を示すことが大事なんだ。ロンドも恐らくレイのことが嫌いだっただろう。だけど奴はちゃんとレイのイベント事に顔を出していた。『俺たちは仲間だ』ということを態度で表すためにね」
「レイのことが嫌いとかじゃない。コート上では素晴らしい関係を保っていたよ。だけど、セルティックスが優勝した年でさえも、例えば試合後に『今日はベテラン組で飯を食いに行こう』って声をかけるだろ。すると集まるのは、俺とKG、サム(キャセール)だけ。レイは来ない。いろんな意味で、俺とKGとサムが当時のビッグスリーだった気がする」
「『レイはそういう奴だ』、最後はそこに落ち着いた。遺恨なんてない。俺たちが話さなくなったことについて、みんな必要以上に大騒ぎしてたけど、そもそも最初からそれほどの関係は存在しなかったんだよ」
– ポール・ピアース
▼セルティックス・ビッグスリーのデビュー戦(2007年)
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少し話は変わるが、レイカーズのコービー・ブライアントもアレンのような一匹狼的な性格の持ち主だった。特に20代前半の若手時代は、遠征先などでもプライベートでチームメイトたちと関わろうとせず、常に個人行動で、チームから孤立していた時期があったという。
当時のコービーとチームメイトだったシャキール・オニールは、2人の仲が完全に決裂するきっかけとなった出来事について、2011年に出版した自伝の中で次のように明かしている。ちょうどコービーのレイプ疑惑騒動が過熱していた頃の話だ。
※以下、オニールの自伝『Shaq Uncut: My Story』より:
「コービーは俺に面と向かってこう言った、『お前はいつでも俺の兄貴で居てくれるって言ったよな。俺のためなら何でもしてくれるって。でもコロラドでのハプニング(レイプ疑惑)以来、電話の一本もくれないじゃないか』。俺は電話したんだけどな…。でもそれでわかったんだ。俺たちが味方しなかったことで、コービーは傷ついていたんだよ。本当に意外だったね。奴は俺たちのことなんかまったく気にかけていないと思っていたからさ。『せめて表向きだけでも俺をサポートしてくれると思っていたよ』ってコービーは言うんだ。『お前は俺の友達じゃないのか?』ってね」
「するとそこでブライアン・ショウが俺たちの間に割って入ってきた。『なあコービー。何でそんな風に思うんだ?シャックは何度もお前をパーティーに誘ったけど、お前は一度も来なかったよな。遠征中に飯に誘っても、来やしない。シャックはお前を結婚式にも招待したけど、お前は顔を出さなかった。そのくせお前が結婚した時は、チームの誰にも招待状を送らなかったよな。それで今問題が起こったからって、このセンシティブな状況で俺たちみんなにサポートしろって言うのか?いいか、俺たちはお前がどんな人間なのかも知らないんだぞ…』」
– シャキール・オニール
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ロンドと次世代の若手選手について:
NBAで成功するには「メンタルトレーニングと一貫性」が不可欠だとピアースは語る。ウィザーズに移籍してからは、ジョン・ウォールやブラッドリー・ビールといった次世代のプレーヤーたちに、こんなアドバイスを与えているらしい:「決断しろ。お前はGoodになりたいのか、それともGreatになりたいのか?もしGreatになりたいのであれば、気が向いた時だけでなく、毎日やるべきことをやれ」
ピアースは、多くの若手選手と同様、レイジョン・ロンドにも「メンタルトレーニングと一貫性」が不足していたと指摘する。
「そこがロンドの問題でもあった。ちゃんとできている日があると思えば、また他の日にはできていない。今の世代はよりその傾向が強い気がする。今の若手選手たちの多くは、12歳の頃からチヤホヤされてきた連中だからな。NBAは大きく変わってきたよ。俺がデビューした頃、練習は何よりも大切というオールドスクールのメンタリティがあった頃とは違う。今は24,25歳の選手が休息だと言って練習を休むんだ。理解しようとはしているが難しい」
– ポール・ピアース
また同じインタビューの中で、ピアースはブルックリン・ネッツ時代の事についても言及している。
デロン・ウィリアムスについて:
「ネッツに移籍する前は、デロンのことをMVP候補の1人としてみていた。でもいざネッツに移ってみると、彼はそういうタイプじゃないと感じたよ。デロン本人がそれを欲していなかったんだ。大きなプレッシャーにやられたのかもしれない。ユタのメディアとニューヨークのメディアとでは規模が違うから。それに苦しめられる人間もいる。デロンはプレッシャーに影響されたんだと思う」
ブルックリン・ネッツについて
「(ウィザーズでプレーできて)幸せだ。去年のブルックリンは厳しい環境だったからね。正直、最悪だったよ。単純に問題は、ネッツにいた選手たちの(ゲームに対する)姿勢なんだ。若手だらけだったとか、そんなんじゃない。ベテラン選手たちが練習やプレーをやりたがらないんだ。練習では、いつも俺とKGが奴らの尻を叩くはめになったよ。もし俺とケビンがいなければ、ネッツは崩壊していただろうな。俺たちがいなければ、チームは諦めていただろう。あのチームを来る日も来る日も引っ張っていたのは俺たち2人だった」
ケビン・ガーネットについて
「KGのために、ブルックリンに残留しようとも考えた。KGにはこう伝えたよ、「この環境は正直好きじゃない。でもお前がいてくれというのなら、絶対にどこにもいかない」って。だけどネッツは俺と再契約をしなかった。だから俺に選択肢はなかったんだ。あんな風にケビンを置き去りにするような真似は絶対にしなかったよ」
「(ウルブズに移籍して)KGは幸せだろう。あいつがトレード拒否権を破棄して良かった。KGにはこう言ってやったんだ、『ブルックリンの連中はお前の価値を理解していなかったな』と。ネッツはあいつの使い方を完全に間違っていた」
「KGはいるべき場所にいる。あいつはミネソタだ。家も売らないままずっとキープしていたんだ」
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チームの裏側をここまで包み隠さず語る現役選手は珍しい。さすが「THE TRUTH(ザ・トゥルース)」と呼ばれるだけある。
by Keith Allison/Flickr
参考記事:「ESPN」