マイケル・ジョーダンの人間離れした競争心がよくわかるエピソード9つ
マイケル・ジョーダンは、どうして「バスケの神」と称されるほどのプレーヤーになることができたのだろう。
生まれ持っての才能、類まれな身体能力?それとも幸運の女神?これらすべてが絶妙に重ね合わさったことは言うまでもないが、何よりも重要だった要素は、ジョーダンの持つ「競争心、闘争本能」にあると思う。
ジョーダンを知る者たちは、みな口をそろえてこう言う、「奴ほど競争心の強い男はいない」。簡単に言えば、究極の負けず嫌い。こういった性格は、時として人間離れした努力、向上心という形を取ったり、またある時は相手の精神を打ちのめすサディスティックなトラッシュトークという形となって表に出る。すべて“勝利”へのこだわりからくるエネルギーだ。
今年ですでに50歳を迎えたジョーダン。身体能力こそは落ちたものの(でもダンクは余裕)、根底にある競争心は少しも衰えていない。そこで今回は、米スポーツメディアの過去の記事などを参考に、ジョーダンのあくなき競争心がよくわかるエピソードを紹介したいと思う。
1.練習中に反抗したチームメイトを顔面パンチ
ジョーダンがシカゴ・ブルズに在籍していた頃の話。当時チームメイトだったスティーブ・カーは、ジョーダンから鉄拳をお見舞いされた経験があるという。トレーニングキャンプで、チームA/Bに分かれて練習試合をしたときのことだ。
カーは米ESPNのラジオショーに出演した際、その時のエピソードを明かした:
「1度だけマイケルに食ってかかったんだ。そしたら、顔面を殴られたよ」
– by スティーブ・カー
ジョーダンに向けてどんな言葉を投げかけたのかはよく覚えていないらしいが、その時に受けたパンチはむしろ喜ばしいことだったとカーは語る:
「あれは僕にとって最高に素晴らしい出来事だった。立ち上がって、彼にやり返さなくちゃならなかったんだ。そうすることで彼からリスペクトを勝ち取れたんだと思う。それからというもの、僕らはとてもいい関係になったんだ」
– by スティーブ・カー
「それがマイケルのチームメイトに対する姿勢だ。君は証明しなくちゃならない。君がタフで彼に立ち向かえる人間だということを証明すれば、それで大丈夫だ」
– by スティーブ・カー
“男は拳で語り合う”とはよく言ったものだ。殴られてもやり返さないようなヘタレを、ジョーダンはチームメイトとして認めない。
ソース:Dan Patrick Show
2.食中毒で試合に出場、38得点をマーク、しかもファイナル第5戦で
1997年NBAファイナル、シカゴ・ブルズ対ユタ・ジャズ。2対2のシリーズタイで迎えた第5戦。
試合前日、ジョーダンは重度の風邪のような症状を患い、一人で立つこともままならない状態だった。トレーナーから「試合に出るのは不可能」と告げられたが、第3,4戦で連敗を喫していたこともあり、ジョーダンは無理を押して第5戦に出場することを決意。試合開始の1時間半前にベッドから起き上がり、スタジアムに向かった。
最悪のコンディションにもかかわらず、この日のジョーダンは44分間コートに立ち、38得点、7リバウンド、5アシスト、3スティールをマークする大活躍。試合時間残り25秒には、ジャズを3点差に突き放すスリーポイントを決め、ブルズを勝利に導いた。
これが、後に「The Flu Game」として語り継がれる伝説の試合である。
後に、風邪ではなく食中毒だったことを、当時のジョーダンのトレーナーが明かした。
ソース:ESPN
3.トラッシュトークで相手のバスケ人生を破壊
・被害者その1:マグジー・ボーグス
以下は、ブルズの元アシスタント・コーチ、ジョニー・バッハが語ったとされる話(※ソースが不明瞭で、真偽のほどは謎)。
ジョニーがシャーロット・ホーネッツでHCをつとめていた1995年。その年のプレイオフ・東地区第1ラウンドで、ホーネッツはブルズと対戦した。
シリーズ1勝2敗のホーネッツ崖っぷちで迎えた第4戦(当時の第1ラウンドは5戦3勝制)。ホーネッツ1点ビハインドというこの試合最も大事な局面で、ボールがマグジー・ボーグスの手に渡った。マグジーは歴代NBAで最も身長の低い選手だ(160cm)。
するとディフェンスについていたジョーダンは、わざとマグジーにスペースを与え、彼に向かってこう言った:
「打ってみろよ、このクソチビ野郎が(shoot it, you f—ing midget)」
– by マイケル・ジョーダン
マグジーのシュートは大きく外れ、ホーネッツは敗退した。
1年後、マグジーは「あのプレーが俺のバスケキャリアをむちゃくちゃにした」とコーチに語ったそうだ。それ以後、マグジーのシューティングが調子を取り戻すことはなかったという。
ソース:the Score
4.トラッシュトークでチームメイトのバスケ人生を破壊
・被害者その2:ロドニー・マックレイ
以下は、1993年の『Sports Illustrated』誌に掲載された記事より一部抜粋:
「マイケルはまるで殺し屋さ」、ブルズの関係者はそう語った。「彼は、私が知る限りで、最も競争心の強いプレーヤーだ。その性格が、彼を世界一のプレーヤーたらしめるんだろうけど。でも彼がフォワードのロドニー・マックレイを駄目にしたも同然だよ」
「練習試合なんかで2人が別々のチームになると、ジョーダンはマックレイの目の前で『お前は負け犬だ。生まれたときから負け犬だ』と叫び続けるんだ。そのせいで、マックレイはまったくジャンプショットが打てなくない選手になってしまった」
ソース:SI
5.iPadのパズルゲーム『Bejeweled』にはまりすぎて、レベル100にまで到達。「デミゴッド(Demigod)」の称号を手に入れる
らしい…。
ソース:ESPN
6.敵チームに次のプレーを予告、その通りに実現
シャキール・オニールの話によると、一度ジョーダンは試合中に、相手チームのオニールに向けて、次のポゼッションでどのように攻めるつもりなのかを突然耳打ちしてきたそうだ。
「ボールを運んできて、2回レッグスルーをやる。次にポンプフェイクを1回入れてから、ジャンプシュートを決める。最後にお前の方を向いてやるよ」
– by マイケル・ジョーダン
はたして次の攻撃で、ジョーダンは宣言したとおりのプレーを完璧にやってのけたという。実力差を見せつけると共に、「わかってても止められないぜ」と相手を挑発する一種のトラッシュトークだろうか。
ソース: Dan Patrick Show
7.「31歳からでもプロ野球選手になれる」と自分を信じた
1993年、ブルズが最初の3連覇を果たした直後、ジョーダンは突然NBAからの引退を発表し、世界中を驚かせた。当初、引退の理由については、バスケットボールに対する熱意を失ったからだとしていたが、後に父を失った影響が大きかったことを明かしている。
それから間もなく、ジョーダンはベースボールへの移行を表明。メジャーリーグを目指すべく、MLBのシカゴ・ホワイトソックスと契約したことを発表し、再び世界を驚愕させた。プロ野球選手になることは、亡き父の夢でもあったのだ。
ジョーダンはチームのスプリングトレーニングに参加し、1994年3月31日、ホワイトソックスのAAマイナーチームでプレーすることが決定した。127試合に出場し、打率2割0分2厘、30盗塁、11エラーをマーク。残念ながらメジャー昇格に十分な成績ではなかった。
とは言え、MLBのAA級まで進める選手はほんの一握り。それを、バスケットボールに人生すべてを捧げてきた31歳の男がやってのけたのだから、まさに偉業と言ってもよい。
ソース:SI
8.例えゴルフでも絶対に勝つ
1992年バルセロナ五輪アメリカ代表「ドリームチーム」が、夏合宿でモナコのモンテカルロを訪れたときのエピソード。
ある日ジョーダンは、代表チーム監督の チャック・デイリーとゴルフで勝負し、1打差で負けてしまった。すると翌朝、まだ夜が明けて間もない時間帯に、デイリー監督が泊まっていた部屋の電話がうるさく鳴り響く。ジョーダンだ。
誰も電話に出ないことがわかると、ジョーダンは直接監督の部屋まで足を運び、激しくドアをノックし続けた。監督がリターンマッチを受け入れるまで絶対に引き下がらなかったそうだ。
結局監督はジョーダンに言いくるめられ、無理やり早朝ゴルフに付き合わされる羽目に。リターンマッチは、ジョーダンが1打差で見事リベンジを果たしたという。後にデイリー監督は、「二度とマイケルとゴルフはしない」と語った。
ソース:SI
9.マイケル・ジョーダンいわく…
私は9000回以上シュートを外し、300試合に敗れた。
決勝シュートを任されて外しもした、26回もだ。
人生で何度も何度も失敗してきた。
だから私は成功したんだ。
I’ve missed more than 9000 shots, lost almost 300 games.
26 times, I’ve been trusted to take the game winning shot and missed.
I’ve failed over and over and over again in my life.
And that is why I succeed
– by マイケル・ジョーダン
試合に“負けた”ことは一度もない。ただ時間が足りなくなっただけだ
I’ve never lost a game I just ran out of time
– by マイケル・ジョーダン
挫折は耐えられる。誰もが何かしらで失敗を味わうものだ。
だが、挑戦しなでいることだけは耐えられない
I can accept failure, everyone fails at something.
But I can’t accept not trying
– by マイケル・ジョーダン
おまけ:ジョーダンとフェラーリ
上の写真は、1992年に撮影されたもの。
ジョーダンクラスになると、そのへんの二流セレブたちとは違い、プライベートでこそこそ正体を隠すような真似はしない。何しろ彼のスーパーカーのナンバープレートは「M・AIR・J」。これは目立ち過ぎる。
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続いて、ジョーダンの遺志を継ぐ者、コービー・ブライアントの超人エピソードをどうぞ。
「なぜコービーはすごいのか?」がよく理解できる裏話10個
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参考記事:「businessinsider.com」