トニー・パーカーが移籍
別れの日がこんなにも早くやって来るなんて…。パーカーがNBAで「ブラック&シルバー」以外のユニフォームを着ている姿が想像できない。
ESPNによると、トニー・パーカーとシャーロット・ホーネッツは現地6日に契約合意。契約内容は2年/1000万ドルだという。
Adrian Wojnarowski記者によれば、契約報道が出る直前、パーカーはグレッグ・ポポビッチHCに電話をかけ、ホーネッツからのオファーを受ける旨を直接伝えたとのこと。スパーズは若手たちのメンターとしてパーカー残留を望んでいたそうだが、パーカーは新たな環境で再スタートを切る選択をした。
パーカーの決断を知ったポポビッチHCはすぐに声明を発表:
「この20年間のスパーズフランチャイズにとって、トニー・パーカーがどれだけ大切な存在だったかを言葉にするのは難しい。2001年に19歳でデビューして以来、毎日、毎試合、毎シーズンのように、TPはその情熱と意欲そして献身さで我々に感動とインスピレーションを与え続けてくれた。最高の思い出をくれたトニーの17年間に感謝したい。優勝4回にオールスター出場6回、そしてオールNBAチーム選出4回。それらは彼のキャリアのハイライトと言える。だが私にとって最大の喜びは、トニーが成長していく姿を目の前で見守れたことだった」
– グレッグ・ポポビッチ
パーカーも移籍発表後、ESPNの取材で長年のホームを離れる心境を語っている。
「難しい決断だった。すごく辛い3日間。ポップ(ポポビッチHC)に連絡するのも辛かった。でも前に進むべきだったんだ。ポップやR.C.ビュフォードGMとの会話はとても感情に訴えるものだった。僕はこれからもずっとサンアントニオを愛し、スパーズであり続ける」
– トニー・パーカー
またホーネッツへの移籍については、「僕のヒーローであるマイケル・ジョーダン(ホーネッツオーナー)や、サンアントニオでお世話になったジェームズ・ボーレゴHCのためにプレイできること、そして僕のリトル・ブラザーであるニコラス・バトゥームと一緒にプレイできることにワクワクしている」とコメントした。
パーカーはスパーズでの17シーズンで15.8得点、5.7アシストを平均し、キャリア通算アシスト数では球団歴代最多の6829本に到達。ティム・ダンカンやマヌ・ジノビリらと共にチームを4回の優勝へと導き、2007年にはファイナルMVPに輝いている。
大腿四頭筋腱断裂の重症から復帰した昨季は、平均スタッツでキャリアワーストとなる7.7得点、3.5アシストを記録。長年務めてきた先発PGの座をデジャンテ・マレーに譲り渡すなど、パーカーのキャリアで一つの節目となった。
▼2007年ファイナル
新天地でのパーカーは、昨季までスパーズのアシスタントコーチを務め、今夏にホーネッツ監督に就任したジェームズ・ボーレゴHC指揮下で、フランス代表のチームメイトであるニコラス・バトゥームと一緒にプレイすることとなる。
▼バトゥームからパーカーに歓迎メッセージ
https://twitter.com/nicolas88batum/status/1015313250739785728
なおESPNの報道によると、同日にはパーカーの他にも、制限付きFAのカイル・アンダーソンがメンフィス・グリズリーズから提示された4年/3720万ドルのオファーシートにサインしたとのこと。スパーズは48時間以内にグリズリーズのオファーにマッチすれば、アンダーソンをチームに引き留めることができる。
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1つの球団に17年以上在籍した後に違うチームに移籍した選手は、アキーム・オラジュワンとカール・マローンに次いで、パーカーがNBA史上3人目。生涯スパーズを貫くだろうと思っていたのでショックだが、若手ガードたちのプレイタイムを増やして世代交代を一気に進めたいスパーズに対し、パーカーはもっと大きな役割を得られる環境を望んだ。別れはすごく悲しいが、双方にとってベストな結果だと言えるかもしれない(そう思い込みたい)。
ただパーカーは、2カ月ほど前にフランスメディアの取材で、「あと3年は現役を続けて、キャリア20シーズンを目指したい」と話していたので、ホーネッツでの2年間を終えてから、キャリア20シーズン目に戻ってきて、スパーズとして引退する可能性も十分にあると思う。
パーカーが来季から違うチームのユニフォームを着るなんて本当に実感が湧かない。
とりあえず、素晴らしい17年間をありがとう。
参考記事:「ESPN」