トニー・パーカーの永久欠番式典スピーチ
現地11月11日、サンアントニオ・スパーズ本拠地のAT&Tセンターではメンフィス・グリズリーズとの試合後に、トニー・パーカーの永久欠番セレモニーが執り行われた。
2001年ドラフトで全体28位指名を受けたパーカーは、スパーズでの17シーズンで15.8得点、5.7アシストを平均。“ビッグスリー”時代の先発ポイントガードとして4度のリーグ制覇に貢献し、2007年NBAプレイオフではヨーロッパ出身の選手として史上初のファイナルMVPに輝く。
オールスターに6回、オールNBAチームに4回それぞれ選出。通算アシスト数で球団最多記録を保持するスパーズレジェンドの一人で、球団にとって10人目の永久欠番だ。
スパーズは同日のグリズリーズ戦に109-113で敗北。“パーカー・ナイト”を勝利で飾れなかったのは残念だが、セレモニーが始まると満員のAT&Tセンターは祝福ムード一色に染まる。
この日の永久欠番セレモニーには、グレッグ・ポポビッチHCやR.C.・ビュフォードCEOら球団フロントオフィスメンバー、ティム・ダンカンやマヌ・ジノビリをはじめとした元チームメイトたちが列席。それぞれが順番にマイクを手に取り、パーカーとのエピソードや感謝の気持ちを言葉にした。
グレッグ・ポポビッチ
「トニー、まずは謝罪させてくれ。長年に渡って君に肉体的、精神的な虐待を与えてしまった。そのことをずっと謝りたかったんだ」(パーカーは笑顔で「謝罪を受け入れよう」と返答)
「真面目な話、私は世界一幸運な男だと思う。君が19歳の頃から今に至るまでを見守ることができたんだ。私はまだ子供だった君に「お前が司令塔だ」とボールを与えた。そして君は間もなく殿堂入り選手になる。それを近くで見守れたのは本当に素晴らしいことだ」
「君は私の人生を、そして私の家族の人生を裕福にしてくれた。私が儲けたお金は、すべて君が薦めてくれたワインにつぎ込んだよ」
「トニー・パーカーはチームメイトを大切にする人間だった。コミュニティーやバスケットボール、友人を大切にする人間だった。そして今は家族を大切にしている。私にとって君のそんな姿を見られるのが何よりも嬉しい」
ティム・ダンカン
https://twitter.com/spurs/status/1194259145999994887
「トニーいわく、彼が1年目の頃、僕は彼と一言も口を利こうとしなかったらしい。それについては肯定も否定もしないでおこう」
「トニーが最初にここに来た頃はまだ19歳の子供だった。当時は彼にどれほど期待していいものか見当がつかなかったよ。でもポップは彼の中に何かを見出したようだった。そして僕の中でも、彼に対するリスペクトが最初の2~3年でどんどん膨らんでいった」
「このスパーズ・プログラムにおいて、トニーほど厳しく指導されていた選手は見たことがない。ポップはそのことについてこの場で謝罪したね。謝って当然だ」
「ビデオセッションだろうが試合中だろうが、トニーは常に厳しく指導された。そしてそれをすべて受け入れながら、もの凄いスピードで成長していった。正直に言うと、君が僕のポイントガードになるなんて、キャリアを通してずっと一緒にプレイしたいと思えるポイントガードになるなんて思ってなかったよ」
「僕たちはオンコートでもオフコートでもいろいろなことを経験したね。本当に素晴らしい旅路だった。君が僕のポイントガードで良かったと心から思っている。ありがとう、トニー」
マヌ・ジノビリ
「みんな知っていると思うけど、TP(パーカー)は僕のキャリアにとって色々な意味でとても重要な存在だった。僕にチャンピオンシップをもたらしてくれた。ペネトレーションからディフェンダー4人を引き付けて、オープンショットを作ってくれた。タイムアウトの時には僕の肩を抱き、『どうして欲しい、マヌ?どうすれば君のエンジンがかかる?チームには君が必要なんだ』と常に声をかけてくれた」
「今日は僕がルーキーだった頃の話をさせてほしい。100年以上も前のことのように思えるよ。ここに来た頃の僕は不安だらけだった。自分に何ができるのかさえも分からなかった」
「なにしろ、あるチームメイトには『コイツは何もできない』と思われていたみたいだし(ダンカンを指さしながら)。遠い昔の話だけどね。それから僕のことを『救いようのないクレイジーな男』と考えていたコーチもいたな。彼の名前(ポポビッチ)は忘れてしまった。もう遠い昔のことだ」
「でもね、僕を心から信頼してくれたポイントガードがいたんだ。最初から僕に可能性を見出してくれた。彼の前向きな姿勢や自信が僕の背中を押してくれた。彼はこう言ってくれた、『俺たちは必ず成功する』。当時の僕は怪我をしていたんだけど、『君はいい選手になるよ』と言ってくれた。『俺たちは素晴らしいデュオになる。最強のインターナショナル・ガードコンビになれる』と言ってくれた」
「彼の前向きな姿勢はすぐに僕にも伝染した。すごくワクワクしたよ。もう一度言うけど、当時の僕は自分に自信を持てていなかったんだ。そんな中で19歳から活躍する彼の姿を見て、僕は前向きな気持ちになれた」
「当時の僕は25歳で、彼は20歳になったばかり。でも経験の面では彼が先輩。だから僕は心から彼を頼った。僕はコートの上で味方を必要としていた。ポイントガードが味方になってくれたのは、僕にとって幸運だった。そのことに感謝したい」
「TP、僕たちは色々な経験を共にした。嬉しい勝利もあれば、辛い敗北もあった。それからTDとポップも言っていたけど、僕たちはビデオセッションでもきつく当たられたね。僕も厳しく指導されたけど、君ほどではなかったかな」
「でもこう思うんだ。そういった辛い経験の後にお互いを励まし合うことで、僕たちの繋がりは強く固くなった。そうすることで15年間も僕たちのやり方でコートをシェアできたんだ。今振り返ってみれば、それがポップの思惑だったのかもしれない」
「僕たちは15年を一緒に過ごした。1000試合以上を戦い、勝利も敗北もたくさん経験した。長いディナーや遠征バスの中で数えきれないほどの会話を交わした。それでも君と口論になったことはただの一度もなかったと思う」
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ジノビリがスピーチを終えると、AT&Tセンターはパーカーに捧げるトリビュートビデオを上映。
ビデオが終わるとパーカーの名前がアナウンスされ、大歓声に包まれながらこの日の主役はマイクを手に取った。
トニー・パーカー
「サンアントニオ…、やっぱりホームに帰ってくるのは素晴らしい気分だよ。サンアントニオはずっと僕のホームだ。そのことをみんなに知ってもらいたい」
パーカーはスピーチで、セレモニーのステージに列席した一人ひとりに向けて順番に感謝の気持ちを伝えた。
・ポポビッチHCへ
「コーチ・ポップ、あなたの謝罪を受け入れたいと思う。さっさと次に行けって?それはできない。あなたはずっと僕のボスだったが、今日だけは僕が主役だ」
「ポップ、あなたは自分の話をされるのを嫌がるけど、あなたが僕の人生に及ぼした影響は計り知れない。僕には最高の父親がいるけど、あなたは僕にとって素晴らしい第2の父だった。あなたからたくさん教わった。バスケットボールへの理解を深めさせてくれた。僕をより良い選手に導いてくれた。僕がデビューした当時、ヨーロッパ出身のポイントガードはほとんどいなかった。そんな時代にあなたは僕にチャンスを与えてくれた」
「絶対に忘れられない思い出がある。その頃の僕は19歳のルーキーで、開幕から4試合を終えたところ。あなたは僕を飛行機の後部座席に呼び出し、『次の試合はお前が先発だ』と言った。『僕がスターターだって!?ティミー(ダンカン)にはちゃんと許可を取ったの?』、そんな心境だったよ。すごく怖かったのを覚えている」
「ポップ、僕を信じてくれてありがとう。オンコートではもちろん、オフコートでもあなたは素晴らしい人間だった。僕をインスパイアしてくれた。僕は今、自分が管理するフランスのチーム、そして周囲の人たちを同じようにインスパイアしようと努力している。たくさん教えてくれてありがとう」
・ダンカンとジノビリへ
「フランス出身のポイントガードに、アルゼンチン出身のガード、アイランド出身の裸足の男。僕たちは最高のビッグスリーだったね。君たち2人は時間を重ねるにつれて僕の大切な存在になっていった」
「もし僕がチームを選べたとすれば、絶対に君たちを選ぶ。君たちのためにプレイできたこと、そして君たちと一緒にプレイできたことは僕の誇りだ。君たち2人は、僕の人生に計り知れないほどのインパクトを与えた。日々僕をインスパイアしてくれた」
「オンコートでの影響は言うまでもない。でも僕にとって何よりも大切なのはオフコートでの繋がりだ。僕たちは引退した今でも頻繁に連絡を取り合い、時間を共有している。3人でテニスをプレイしたり、牧場に出掛けて一晩中語り合ったりしている」
「友情と結束。僕にとってそれらが最高の宝だ。君たち2人を愛している。これからも一生親友でいよう」
※ ※ ※
それからパーカーは、キャリアを通して苦楽を共にしたスパーズやフランス代表の戦友、家族に感謝の気持ちを伝えた。そして最後に、球場のファンたちに向けて「Go Spurs Go」のチャントを呼びかけてスピーチを締め括った。
「最後にスパーズファンのみんなにお願い事をしてもいいかな?想像してほしい。僕たちの対戦相手はコービーとシャックのレイカーズ。最後にもう一度だけ大声で『Go Spurs Go!』と叫んでほしい。ワン、ツー、スリー…」
▼Go Spurs Go!
▼ダンカン、ジノビリと並んでAT&Tセンターに掲げられるパーカーの背番号「9」
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いや、本当に最高のセレモニーだったよ…。
個人的に最も印象深かったのは、パーカーの高校時代からの親友であり、フランス代表、そしてスパーズでも数年間同じユニフォームを着たボリス・ディアウのスピーチだ。
まずディアウのスピーチ中にコウモリが乱入してきたこと。そしてディアウが語ったパーカーとポポビッチHCのエピソードがすごく心に残った。
ボリス・ディアウのスピーチ
僕がNBAデビューする前の話。トニーがドラフトされた年だった。一緒にクリスマスを過ごそうと言ってくれたので、僕はサンアントニオまで足を運んだ。トニーがルーキーだった頃の話だ。
トニーは「クリスマスはポップの家で過ごすから」と言った。
「ポップってヘッドコーチのこと?クリスマスをコーチと過ごすのか?凄いね、楽しみだな」
だから僕は彼の家族と一緒にポップの家にお邪魔した。その時点で素晴らしいことだよ。フランス出身の若造が1年目から家族の一員として迎え入れられているということだからね。
少し話が逸れるけど、ポップのワインセラーがあまりにも素晴らしすぎて嫉妬した。あんなワインセラーを僕も持ちたいと思っている。本当に凄かったんだ。
とにかく家族ぐるみの付き合いを見て、僕は安心したよ。彼ならトニーを任せても大丈夫だ、とね。
あれは確かメインディッシュとデザートの合間だったと思う。気が付けば、ポップとトニーがディナーの席から姿を消していたんだ。僕は席を立って、2人を探すために家の中を詮索した。うろうろのぞき回るのが好きだからね。
するとどうだ!ポップとトニーは前日の試合のフィルムセッションをしていたんだ。「え?今日はクリスマスだぞ?みんなでディナーを楽しんでいたじゃないか…」
そこでもポップはトニーを怒鳴りつけていた。ショットミスがどうとか、ターンオーバーがどうとか…。僕は言葉を失ったよ。
深い愛情と思いやりでトニーを家族として自宅に招きながら、それと同時にトニーをより良い選手へと導くことも常に忘れない。クリスマスの夜であっても。
そこで僕は確信したよ。この人ならトニーを任せても心配ない。トニーはNBAで素晴らしいキャリアを送るだろう、とね。
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Merci Tony
Video:「Spurs」