ティム・ダンカンって最高だよね…
現NBAでティム・ダンカンほど愛されているプレイヤーは他にいないと思う。各地のスポーツ記事やネットのフォーラムなどをみても、ダンカンが悪く書かれていた試しがほとんどない(プレイスタイルが退屈だという意見以外は)。
基礎に忠実で安定感のあるプレースタイル、チームプレー第一の献身的な姿勢、勝利へのストイックさ…。ダンカンは、「プロフェッショナル」という言葉が最も似合うNBA選手ではないだろうか。
輝かしい実績
確かにダンカンは、アレン・アイバーソンやコービー・ブライアントなど、同世代の他のスーパースターたちに比べると、華やかさがないかもしれない。だが、彼がこれまでのNBAキャリアで築き上げてきた功績は、コービーに少しも劣らないどころか、むしろ上回っているとすらいえる。
4度のNBA制覇とファイナルMVP受賞3回、シーズンMVP受賞2回、新人王。14回のオールNBAチームとオールスター選出、13回のオールディフェンシブチームなど、挙げはじめるときりがない。
また、スパーズはダンカンが入団して以来16年間、プレイオフを1度も逃したことがなく、その内の15シーズンで50勝以上あげている。
なによりも、ダンカンはその間にずっとチームの大黒柱であり続けた。これほどまでに、1チームにとって価値ある選手が、ジョーダン以降にいただろうか?
コービーの方が優勝経験は多いが(5回)、その内の3回はシャキール・オニールというチートすぎるセンターがいたからこそのことだ。
ジョーダンにはピッペン、コービーにはシャックがいた。その一方で、ダンカンはスーパースター級のサポートなしに、4度の優勝をやってのけた(パーカーとジノビリがいたが、ピッペン/シャック級の選手とは到底言えない)。
小さい頃の夢は水泳選手
アメリカ領ヴァージン諸島のセント・クロイ島という島で生まれ育ったダンカン。少年期の夢は、NBA選手ではなく、プロの水泳選手になることだった。
姉の影響で幼いころから水泳を始めたダンカンは、オリンピック出場を目標にしながら、日々練習に励んでいたという。小学生の頃には、400m自由形で全国区の選手にまで成長した。
しかし、1989年に巨大ハリケーン「ヒューゴ」がセント・クロイ島を襲い、島で唯一の国際大会用プールが破壊されてしまう。そのことが原因で、ダンカンは水泳に対する情熱を完全に失ってしまい、その後、彼が再び水泳の試合に出場することはなかった。
そしてダンカンは、14歳になってから、本格的にバスケットボールの世界に足を踏み入れることとなる。他のNBA選手と比べるとかなり遅めスタートだったが、そのわずか9年後には若きエースとしてスパーズをNBA制覇に導き、ファイナルMVPの称号を手にした。
死んだ母との約束
名門ウェイク・フォレスト大に進学したダンカンは、2年目にしてレイカーズからドラフトへのアーリーエントリーを勧められるほどのプレイヤーになった。普通の選手であれば、迷うことなくそのチャンスに飛び乗るところだが、ダンカンは大学に残ることを選んだ。死んだ母との約束があったからだ。
ダンカンの母親は、彼が14歳のときに乳がんを患いこの世を去った。彼女が日頃から息子に言い聞かせていたことは、「大学だけは卒業するように」ということ。NBA入りが低年齢化傾向にあった時代の中で、ダンカンは母の遺志に従い、大学を卒業した。
▼腕があることに突然気が付いたダンカン
チームのためなら減俸もいとわない
ダンカンは2012年に、スパーズと3年間/3000万ドルの契約を結んだ。今年で37歳、選手としてのピークをやや過ぎたダンカンだが、今季の17.8得点、9.9リバウンドという成績からもわかるように、他のチームにいけば(考えたくもないが)もっと給料をもらえたことは確実だと思う。
だが彼はもう一度優勝を狙うため、少ない契約金でスパーズに残り、チームの充実を最優先に選んだ。ちなみに同世代のケビン・ガーネット(36)は、同じ時期にセルティックスと3年間/3600万ドルの契約を結んでいる。
▼ダンカンのベスト・モーメント
ダンカンを愛すべきでない理由があったらぜひ教えてほしい。
ソース:「bleacherreport.com」、「nba.com」