マーカス・スマート 子供の頃の約束を実現させ母親に家をプレゼント
ボストン・セルティックス新人のマーカス・スマートにとって、生まれ故郷であるテキサス州ダラスでの初NBAゲームとなった3日のセルティックス対マブス戦。試合前日の日曜、マーカスは人生の一大イベントともいえる大切な用事で実家を訪れていた。
マーカスは子供の頃に母親とこんな約束を交わしたらしい、「大人になったら家を買ってあげる」。恐らく多くの人が人生のどこかで同じことを考えるだろう。彼は20歳という若さでその約束を実現させた。
マーカスは購入したての新居を家族と一緒に初めて訪れた日曜日のことをこう語る:
「母さんを見ると、父さんと一緒に満面の笑みを浮かべていた。自分自身に誇りを感じたよ」
両親にとってこれほど嬉しいことはないはず。最高の親孝行だ。しかし、マーカスがここにたどり着くまでに歩んできた道のりは決して平坦ではなかった。
マーカス・スマートはテキサス州のサウスダラス地区で生まれ育った。家族構成は、母親のカメリアと父親のビリー・フランク、兄のマイケル、そして20歳ほど年の離れた異父兄弟のトッド・ウェストブルック。決して治安が良い地域ではなかったが、非常に親密で結束の強い家庭だった。
幼少期のマーカスにとって、兄のトッドは憧れであり、第2の父親的な存在だったという。学生時代は将来有望なバスケットボール選手だったトッドだが、15歳の時に癌と診断されたため、プロの夢を捨てざるを得なかった。しかし病状が悪化してからもマーカスとマイケルの面倒を良くみて、可能な限り一緒に時間を過ごし、生きていくうえで大切な知恵をたくさん教えてくれたそうだ。
「先が長くないとわかっていながらも生き続けようとする強さと情熱。トッド兄さんのそんなところを常に尊敬している」、マーカスは兄についてそう語る。
マーカスはとても心の優しい子供だった。靴に穴が開いていてもまったく気にしない。親戚がNikeを買ってやると勧めても、20ドルの安物スニーカーを選ぶ。そんな謙虚な少年だった。
9歳のクリスマスに母親から「欲しいものはあるか?」と尋ねられたときも、マーカスはたった一言:「何もいらないよ」。「いいから言ってごらん」と母親が聞き返しても、「ママ、僕は何もいらない。クリスマスに家族みんなで過ごせるよう神様にお願いしたんだ」と答えたそうだ。
しかしそれから間もなく、マーカスの優しい性格を大きく狂わせてしまう不幸な出来事が立て続けに起こる。
家族で共に過ごしたクリスマスからわずか2週間後、大好きだった兄のトッドが長年の闘病生活の末、33歳で亡くなった。さらに時を同じくして、もう一人の兄マイケルがギャングの世界に足を踏み入れてしまう。
マイケルが関係を持った組織は、アメリカで最大の黒人系ストリートギャングの一つとされる「Bloods(ブラッズ)」。麻薬密売や売春あっせんなどさまざまな犯罪に手を染めはじめ、やがて自身もドラッグに溺れていった。
当時10歳だったマーカスは、夜遅くに家の近所でマイケルの帰りを待ち、麻薬でハイになっている兄に向けてこう訴えかけたという。
「兄さんが逮捕されたとか死んじまったとかで、夜中の2時にママのところに電話がかかってくるようなことだけはやめてくれ。ママはもう息子を1人亡くしているんだよ」
最終的にマイケルはコカインの過度摂取で入院することとなる。
これら一連の出来事は、少年の心に傷を負わせるのに十分だった。どうしようもない怒りの感情が心に芽生え、性格は暴力的になった。マーカスは、「進むべき道を見失っていた。僕はあの時に完全に変わってしまったんだ」と当時のことを振り返る。
マーカス少年は悪友たちと万引きを繰り返すようになる。そして怒りのはけ口は喧嘩だった。マーカスは弱者強者に関係なくからんでいった。暴力をふるう以外に感情を表に出す方法がわからなかったのだという。
喧嘩の頻度は週に3回ほど。手にとれる武器は何でも使い、相手の頭をコンクリートに叩きつけ、もう少しで首の骨を折ってしまいそうになるほど凶暴な喧嘩をした。大人数に囲まれた時は、家に帰って父親の拳銃を持ち出し、復讐に向かおうとしたこともある。兄のマイケルに玄関口で無理やり引き止められため、マーカスは取り返しのつかない過ちを犯さずに済んだ。
マーカスと彼の仲間は、建物の上から通行人に石を投げつけるという危険極まりない遊びを日課にしていた。一度は、たまたまギャングのメンバーに石をぶつけてしまい、追い回された挙句、拳銃を発砲され、危うく命を落としかけた経験さえあるという。
マーカスはそんな暴力的な日常を家族の誰にも内緒にしていたが、母親のカメリアさんは息子の問題に気づいていた。息子には救いの手が必要で、悪環境から抜け出させてやらなければならないと痛感していた。カメリアさんは当時のマーカスについて、「生きていくのにうんざりしているようだった」と語る。
ついにカメリアさんは息子と向き合いじっくりと話し合った。そこでマーカスは喧嘩について初めて母親に打ち明けた。カメリアさんが「どうしてもっと早く相談してくれなかったの?」と尋ねると、息子から返ってきた答えは「ママに心配をかけたくなかったんだ」
「マーカスまでギャング文化の犠牲にするわけにはいかない」、そう心に誓ったカメリアさんは、息子をアンガーマネジメントのカウンセリングに通わせ、家族みんなで安全なダラス郊外のフラワーマウンドに引っ越すことを決意する。
このカウンセリングと引っ越しがマーカスを救った。周囲の環境が子供の人格形成に最も大きく影響するというが、まさにその通りだ。治安の悪いサウスダラスとは違い、フラワーマウンドでは家の外から銃声や喧嘩の叫び声が聞こえてくることはない。
「マーカスはまるで生まれ変わったようだった」とカメリアさん語る。「まるで暗闇から光へと踏み出したように。それほど息子の変化は顕著だった」
マーカスは攻撃的な感情を、暴力ではなく、バスケットボールへの情熱に変えられるようになった。そして再び謙虚な性格を取り戻していった。転校先の教師たちは、マーカスの自己顕示欲の薄さに感心したという。トロフィーや賞を勝ち取っても、家に帰ってそれらをすぐにしまい込み、YouTubeにログインして、より高度なフットワークのスキルを学ぼうとする。バスケットボール推薦の手紙が届いた日も 感慨にひたることなく、いつものようにジムで練習に励んだ。
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マーカスは今でも当時のことを毎日のように考えるそうだ。「僕にとって母親と兄弟はヒーローだ。もし変われていなければ、僕は今ごろ死んでいたか刑務所の中だろう」
そして少年時代の辛い経験から多くを学んだという。
「みんなからいつもこう聞かれる、『どうして君はそんなに謙虚なんだ?』って。僕と同じような経験をすれば、たどり着く考え方は一つしかないよ。人生はゲームじゃない。外の世界は冷たい場所だ。世の中は冷酷。物事をよく学んで理解しなければ、この世界に食い尽くされてしまう」
「みんなから嫌われるような人間にはなりたくない。僕はみんなから『こんないい奴に出会ったのは初めてだ』と思われたいんだ。僕はポジティブな話を聞きたい。僕についてのネガティブな話は聞きたくない。そうすると僕の印象が悪くなるし、気分が落ち込んでしまう。そして僕の家族の印象が悪くなる。僕という人間は、母親、兄弟、家族みんなを映す鏡だ。僕の振る舞いは、家族が僕をどう育てたのかを映す鏡なんだ。そのことを学んだ」
マーカスは二の腕に「33」のタトゥーを入れている。33歳でこの世を去った兄のトッドをずっと忘れないために。