マイケル・ジョーダンは「エア・ジョーダン1」を履いて試合に出るたび罰金を支払っていた
世界中のスニーカー好きが愛してやまない「エア・ジョーダン」。今や世界一有名なスニーカーとなった同シリーズだが、初代の「エア・ジョーダン1」が当時のNBAで御法度にされていたことをご存じだろうか?
エア・ジョーダン誕生
1984年にNCAA制覇とオリンピック金メダル獲得を果たし、NBAデビュー前から次期スターとの呼び声が高かったマイケル・ジョーダン。当時バスケットバール界への本格的な参入を目論んでいたNike(ナイキ)は、何が何でもジョーダンを獲得しようとしていた。だがジョーダンは当初、adidasと契約を結びたがっていたらしい。
そこでナイキは、「年間50万ドル(約5000万円)の5年契約」という、当時のスポーツエンドースメントとしては破格のオファーを提示。契約の際にジョーダンに課した条件は、「新人王獲得」「オールスター出場」「1試合20得点以上を平均」のいずれかを3年以内に達成することだった。ジョーダンはこれに合意し、正式に契約が成立。そして伝説のエア・ジョーダンが誕生した。
NBAはエア・ジョーダンにノー
ところが、初代のエアジョーダン1はすぐにNBAから禁止されることになる。赤と黒をあしらったデザインが「ユニフォームの色にそぐわない(白が少ない)」という理由のためだ。これを履いて試合に出た場合、罰金のペナルティが課せられることとなり、ナイキがこの罰金を肩代わりしたとされている。
▼当時のNBAがNikeに送ったとされる通知。「1984年10月18日頃に、ジョーダンが赤と黒のNikeバッシュを履くのを禁止にした」と記載されている
ジョーダンは、ルーキーシーズンに28.2得点、オールスター選出、新人王獲得を達成。ナイキが提示した条件をすべてクリアする大活躍をみせた。
さらにナイキは禁止ルールを逆手に取り、テレビCMを作成。「NBAはエア・ジョーダンを禁止にしたが、君たちが履くことを禁止には出来ない」というメッセージで、シューズの革新さをアピールした。
▼発売当時に流れたエア・ジョーダン1のCM
「10月15日、ナイキは画期的なバッシュを開発した。10月18日、NBAはこれを試合から追放した。だがNBAは君たちがこのシューズを履くことを禁止できない」
これらのマーケティング戦略が功を奏し、1985年3月に発売された「エア・ジョーダン1」(価格65ドル)は、わずか3ヶ月で7000万ドル(約70億円)を売り上げる大ヒット商品となった。
その後もエア・ジョーダンは進化と躍進を続け、世界有数のシューズブランドにまで成長。報道によると、ジョーダン関連ブランドの売り上げ高は、2012年に同ブランド最高の25億ドルを記録したという。エア・ジョーダンシリーズは、アメリカで販売されたバスケットボール・シューズの約55%を占め、キッズ用に至っては77%を占めている。
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ソース:「espn.go.com」